ASDの息子へ〜あなたはあなたのままでいい〜

現在、小学3年の息子がアスペルガー症候群ASD)と診断されたのは、小学2年になって間もなくでした。

小学1年の3学期から、突然、学校や習い事への行き渋りが始まり、食事も取れなくなりました。
食欲はあるのに飲み込めず、「何で食べれないのぉ〜!」と泣く息子を見て、これはただ事ではないということで、急ぎ年長の頃に通っていたリバビリ病院の担当相談員さんに連絡をしました。
相談員さんとの面談後、直ぐに小児科の再受診が決定しました。
知能検査などは予約がいっぱいで、結果が出たのは約3ヶ月後の小学2年になってからでした。
年中の頃からグレーゾーンと言われていたこともあり、診断が出てショック半分と行き渋りの理由が何となく判明したことへの安堵感が半分でした(明確な理由は未だに分かっていません…)。

2年生ではほぼ不登校になりました。
学校へは家族の付き添いがなければ登校できず、さらには、30名強の生徒のいる教室にはバリアがあって入れないと言うので、夏の暑い日も寒い日も親子2人廊下で過ごしました。
小学校と何らかの繋がりを持っていなければいけないという思いで、通える限り短時間でも登校するようにしました。また、朝、担任の先生が家まで来て下さり、学校までの道のりを一緒に歩きました。週一で通級にも通いました。
しかし、夏休みを前に、息子の学習する場が少な過ぎることに対して不安が高まりました。
そこで、相談員さんから教えてもらっていた不登校児が通える適応指導教室にも通い始めました。
少人数で小学1年から中学3年まで様々な年齢層の子供たちが通っていたことから、今までと異なる環境に息子も始めは意欲的に通っていました。
朝は通学路を歩き、午前中は適応指導教室、午後は小学校の廊下で過ごすスタイルで頑張っていましたが、1ヶ月程でエネルギー切れとなり、その後は完全に不登校となりました。
3学期になってからは、再び適応指導教室のスポーツデーを中心に通い始め、放課後には担任の先生に勉強を個別に見ていただくなどして何とか2年生を乗り切りました。
2年生を振り返り、息子は通級が一番安心できる場所だったと振り返っています。

3年生からは、学校の勧めもあり特別支援級に入りました。
担任の先生の理解はもちろんのこと、少人数で気の合う友達も多く、調子の良い時は朝から給食を食べるまで過ごすことができるようになりました。たまに充電切れで休む日もありますが、少しずつ登校できるようになっています。

行き渋りから1年と4ヶ月。
突然、暗闇の中に放り出され、行く先も分からずもがいている感じです。
仕事を休職し、息子に寄り添う選択をしましたが、何が正しいのかなんて今は分かりません。
ただ、小学校じゃなくてもいいから息子が安心・安全に学べる場所を探しています。
息子が息子らしく笑顔で居られる場所。
きっと見つかると信じています。
そして、何より息子の力を信じています。

学校に行けないことで一番苦しいのは息子です。
でも、そのことを後ろめたく感じて欲しくありません。
だって、
あなたはあなたのままでいいんだから!